<   2006年 05月 ( 29 )   > この月の画像一覧

ドイツ戦

Un pareggio di 2-2 con una doppietta di Takahara ed i due errori fanciulli della difesa alle punizioni. Penso che sia un bel risultato pero' c'e' accaduta una cosa brutta che un fallo orrido di Schweinsteiger ha assaltato Kaji. Quando ho visto questa scena cosi' brutta sulla tv ho avuto una paura. Speriamo di andare tutto bene... Fukunishi e Nakata sono stati bravissimi in campo, anche Nakamura nella ripresa ha giocato bene. Invece l'ultima linea difensiva condotta da Miyamoto mi e' parso instabile. E mi sarebbe piaciuto vedere Maki.

サッカー日本代表を応援しよう! ぬぉー、加地に何すんねん!!

 レバークーゼンは冬に戻ったように寒かったらしいが、東京は暑くなりそうな陽射しに満ちた気持ちのいい早朝だった(もっとも僕は午後の会議の準備に追われて自宅ながらに徹夜状態を余儀なくされちっとも気持ちよくなかったのだが、それは置いといて)。もはや、ピッチに立つ代表戦士の中で、中田英寿の次くらいの風格を漂わせながら、高みで安定したプレーを披露していた加地を、悪質なバックチャージが襲う。ピッチに倒れ込み苦悶の表情を浮かべる加地。誇張でなく血の気が引いた。いや誇張だ。いやな胸騒ぎに見舞われた、くらいだ。交代で急きょピッチに入った駒野は、たぶん本人的にも充実の手応えだったであろう素晴らしい出来だったが、そういう問題じゃない。この代表から欠けてはならないピースの筆頭3枚には間違いなく入るのだ、加地は。事態が深刻でないことをひたすらに祈ろう。

 前半から、ドイツは今ひとつちぐはぐで重く、日本は何となく気持ちの揃ったところを見せたと思う。イメージした通りにシュートまで持っていけた場面もいくつかあったし、カウンターへの切り替えも、いつになくスピード感があった。ワンタッチの短いパス交換は、フランス大会の山口=名波=中田の感じを思い出させた。福西が素晴らしかった。それでも、全体的にもう少しパスが強い方がいいんじゃないかという気はしたし(スピードという点では中田ヒデのパスだけが違う次元にあった)。中村は前半は陰薄く、後半はボール扱いに対する絶対的な自信のオーラを放ちながらクラスの違いを見せた。ただ、中村にもときおり見られるのだけれど、短いパスが足下でからまったり、インターセプトされたら、織り込み済みのリスクなんだろうとは言え、やはりヒリヒリするようなピンチを迎えることが予想される。本番では、こわいなぁという思いを押し込めながら成り行きを見守ることになるんだろうな。そして思うに、最終ラインも、そういう不安な気持ちを持ちながらプレーしているんじゃないか、という気がした。中澤はどこかしら思い切りに欠け、宮本はセイフティを装った過度に深いライン、広い間合いを取り、坪井は視界に入っているマーク相手についていきそびれ、フリーでシュートを打たせた。実際は、彼らはゆとりを感じながらプレーしているのかも知れないが、テレビに映る表情、体の動きからは、一抹の不安、自信のなさが垣間見える最終ラインだったように思う。

 先制点のカウンターは鮮やかだった。1986年メキシコ大会の決勝戦、アルゼンチンの決勝点を導いたマラドーナのスルーパスと、それに反応して抜け出したブルチャガ、ああいう感じの、局面が一気に開けて総毛立つようなサッカーの醍醐味モーメントだった。高原はよく決めた。レーマンは本気で悔しそうだった。2点目は、バラックの緩いディフェンスのせいもあるにせよ、高原はポジティブに前へと向かったし、逆サイドにコントロールされたシュートも素晴らしかった。終盤、大黒が迎えた2本のチャンスも決定的だった。こんなに苦労して点を取っても、セットプレーだけでぽんぽんと返されてしまうとすると、なかなかに勝つのはしんどいだろうなあ、という気がする。でも、あんなふうに点が取れる、シュートチャンスがつくれる、というのは素晴らしいことだし、少なくともオフェンスの局面では、ぐぐっと一体感が増してきているように感じられた。総じて攻めは楽しみで、守りは不安だった。

 ともあれ練習試合とは言え、やはりワールドカップ感が高まってきていて、テレビ観戦へののめり込み方も、キリンカップなんかとはものすごく違うのだった。んー、いよいよなんだなー。
[PR]
by mono_mono_14 | 2006-05-31 21:53 | 蹴/calcio | Comments(6)

nubla『voayeur』

Un'artista barcellonese "nubla" presenta la musica comoda e cool che mi rilassa. I suoi sound mi ricordano le performance di Bebel Gilberto, un'artista brasiliana. Mi pare che sia un cd apposta ad una serata estiva, magari con un gin&tonic adulto.

 かれこれ一月ほど前、Ojos de Brujoの『Techari』を買った時に一緒に買ったnublaの『voayeur』が、なかなかにツボだ。アーティスト名をカナで書くとヌーブラだそうで、これだと、残念ながら(?)お目にかかったこともなければ、自らが使用したことなどお試しにでもあるわけもない同姓同名の別のヒット商品を想起してしまうゆえ、シャイな僕は(ってここまでの書きぶりがすでにシャイではないが)アルファベットで書くことにするが、このnubla、くだんのOjos de Brujoにも参加していたルシアーナ・カルレバーロというバルセロナの女性アーティストのソロ・プロジェクトらしい。Ojos de Brujoが賑やかなごった煮ミクスチュアなのとは少し趣を異にして、穏やかなトリップ感のあるクールなサウンドで、ベベウ・ジルベルトのリミックスに近いニュアンスを帯びている。もしかすると、顔の雰囲気も似ているところがあるかも知れない。
 僕が好んで聴く外国語のボーカルは、頻度の高い順に英語、ブラジル=ポルトガル語、イタリア語、フランス語だと思う。スペイン語の出番は、さほど多くはないフランス語よりもさらに少ない。その分、微妙に新鮮だ。それでも、このスペイン語は、根拠も薄ければ自信もないままに言うと、ポルトガル語に近い響きで奏でられているように思う。もっとも、ポルトガル語もスペイン語もイタリア語もフランス語もどこかしら似てるっちゃあ似てるわけだけれど。
 シンプルなアレンジに乗せられた適度な昂揚感と心地よいチルさ加減(って日本語としてどうだろう、これ)が、夏の宵に向いているような気がする。これからの季節、それなりの出番があるものと思われ。願わくはキリリと冷えたグラスを手にしていたいもの。

・・・思い出したので追記するけど、中南米のスペイン語はわりと聴いていたんだった(汗)。nublaの歌は中南米のスペイン語とはずいぶんと響きが違ったので、ちっとも思い出さなかったなって言い訳にもなってないよorz...。
[PR]
by mono_mono_14 | 2006-05-29 19:34 | 音/musica | Comments(0)

ブラッディ・マリーとジン&トニック

Da alcuni anni non vado un bar dove andavo spesso allora. Li' mi divertivo quasi sempre i cocktail originali che il barista creava per me. Lui faceva i cocktail ortodossi come "Bloody Mary" o "Gin&tonic" con un'po di pensata e poi questi cocktail diventavano diversi tanto da quelli normali, ovviamente buonissimi.

 しばらく前に買って、でもなぜだか未開栓のまま冷蔵庫で眠っていたトマトジュースを、これまたなぜだか不意に飲みたくなり、コップに注ぎちょっぴり胡椒も挽き入れる。思いのほか美味しくてあっと言う間に飲み干してしまい、おかわりまでしてしまった。体がリコピンを欲していたんだろうか。もっとも僕は、リコピンの効用なんてちっとも知らないのだけれど、何となくときどきドジを踏むものの憎めない仲間、みたいな感じがする。ともあれ、まるで子どもが麦茶を飲み干すような勢いでずいぶんと久しぶりにトマトジュースを飲みながら、すっかりご無沙汰してしまっているバーで出してもらっていたお気に入りのカクテルを思い出した。

 トマトジュースを使ったカクテルと言えば、筆頭で上がるだろうブラッディ・マリーだ(表記はブラディとかメアリとかいろいろあるけど、とりあえずこう書いておく)。ペルツォフカという唐辛子が入ったピリカラ風味のウォッカを使い、レモン少々にトマトジュースを合わせてシェイクする。飲む時にお好みでリー&ペリンのウスターソースを少し垂らす。このレシピは、オリジナルカクテルをいろいろ考えてくれるマスターが、いろいろ新しいチャレンジを模索している僕につきあってあれこれ出してくれたアイディアのひとつなのだが、いつの間にか、この店ではブラッディ・マリーと言えばこのレシピでつくられるようになったようだった。

 このマスターが考案してくれたもうひとつの大ヒット作は、ジン&トニックにラフロイグという少しクセのあるシングルモルトを加えてシェイクするという大胆なもので、オトナのジン&トニックという、コドモが考えそうな呼び名がついた。ラフロイグが好きでなければヤメの一手だけれど、もしラフロイグが好きなら、きっと堪えられない味わいに驚くと思う。僕はこれが大好きだった。

 このマスターにシェイカーの振り方を教わったことがあり、いい気になってシェイカーを買った。だから、その気になれば、自宅でもピリカラ・ブラッディ・マリーやオトナのジン&トニックをつくれるのだ(ただし、いずれもなんちゃって版)。久しぶりに飲んでみたくなったな。材料、買い込んでこようかな(と言うか店に顔を出すべきか)。あ、数週間後の健診が終わってからにしようっと。
[PR]
by mono_mono_14 | 2006-05-29 03:39 | 雑/quotidiana | Comments(4)

ポール・ウェラーの誕生日をひっそりと祝う。

E' stato il quarantottesimo compleanno di Paul Weller ieri, il 25 maggio. Ed io aggiungo timidamente che e' quello mio trentanovesimo domani.

 5月25日はポール・ウェラー先生の48回目の誕生日だった、って東京はもう日付が変わってしまっているところがお間抜け全開だけれど、GMTなら当日に間に合ってるってことで、誕生日記念にDVDを鑑賞したりしながらこれを書いている。かっけー。ウェラー、かっけー。ロクに弾けもしないのにギターが弾きたくなってくる。来月上旬にダブル・アルバムのライブ盤がリリースされる予定なので、それを楽しみに待っているところ。あの来日公演の感動が甦るはず(録音は日本公演ではない)。皆さま、ぜひとも一家に1枚。
 ほんの上辺を見ているだけのことかも知れないけれど(上辺すらも見ていないのかも知れないけれど)、男子たるものポール・ウェラーのように年齢を重ねていきたいものだとホントに思う。こういうの、ミュージシャンとかだけに許されたエイジングなワケないんだよな。サラリーマンなりに頑張りたく。Anyway, happy birthday, Paul!!
[PR]
by mono_mono_14 | 2006-05-26 04:13 | 雑/quotidiana | Comments(2)

『ラ・ベットラの定番スパゲティ』

Mi piace cucinare nonostante non sono mai bravo in cucina. Ho comprato un libro della cucina italiana scritto da Ochiai-san che fa "la bettola da Ochiai", uno dei ristoranti piu' famosi a Tokyo, dove non sono mai andato purtroppo. In questo libro ho trovato alcune saggistiche interessanti da Ochiai-san e forse per cui l'abbia comprato.

 残念ながらこれっぽっちもフォトジェニックに仕上がらないので&食卓も乱雑極まりないので、写真で紹介することはほとんどあり得ないのだけれど、気が向くといんちきイタリアンをつくる。いや、必ず教科書を参照するし、材料もできるだけ揃えようとするから、いんちきを標榜しているわけではないな。えっと、じゃあ、へたくそイタリアンか。・・・いんちきのままにしておいた方がよかったな。。。

 昼ご飯のついでに立ち寄った本屋で、なぜだか『ラ・ベットラの定番スパゲティ』なんていう本を買ってしまった。予約が取れないことで有名な「ラ・ベットラ」をやっている落合さんがパスタのつくり方を書いた本で、5年くらい前に出て、すでに10刷だから、売れに売れてるってことなんだろう。でも、なんでこの本を買ったのか、自分でもイマイチわからない。僕は「ラ・ベットラ」に行ったこともないし、この本はこれまでに何度も表紙だの背表紙だのを見かけてきたのに、その間はちっとも食指が動かなかったのだ。それでも、まあ、買ってしまったわけなので、そのうち何かつくろう。

 この本は、美味しそうなパスタが自分でもつくれるんじゃないかしら、と錯覚するような解きほぐし方で解説してあるところももちろん魅力的なのだけれど(まずは手抜きせずに教科書通りにつくれ、とするところも好感)、僕が気に入ったのは、もしかすると合間に挟み込まれたエッセイのような落合さんの持論の方かも知れない。別の落合さんのお得意のフレーズを借りれば、「オレ流」の哲学(料理に対する、レストラン経営に対する、生きるに値する人生に対する)。
──相手を喜ばせようと思ったら、ある程度自分を犠牲にしなきゃいけない部分は必ず出てくる。幸せなんて誰かの犠牲の上に成り立っているわけでしょ。
──体力があって体調がよければ料理を作るパワーも違うし、いい仕事ができる。
──生活していくために仕事をするのは当たり前。“どうせやるなら楽しくやらなきゃな”って、毎日当たり前のことをやっているだけのことだよ。
──仕事が終わってないのに帰るって言ったら僕も怒るけど、仕事はすべて終わってるのに、僕が帰らないばっかりにみんなが帰れないなんて、そんなばかげた話はない。すごい無駄でしょ。
──帰り道が一番楽しい。仕事が終わると一瞬、“責任”の二文字が肩からはずされるわけだから、それはほっとする。……特に土曜日の帰り道は格別だ。日曜日もだいたい仕事が入ってるけど、でもそれは店の仕事じゃない。「明日、普段よか1時間は余分に寝られるな、じゃあ、今日はちょっと本を読んじゃおうかな」と思うと、心が弾んでくる。
落合務『ラ・ベットラの定番スパゲティ』幻冬舎
 駆け足でちょっぴり抜き出してみた。どんな領域でも先頭を走っている人たちは、こういう哲学があるような気がする。そして、決して先頭の方を走ることはない僕であっても、心構えのひとつやふたつくらい、こういう人たちに近づいてもいいはずなのだと思う。プレッシャーと犠牲に耐えることなくいい仕事ができるわけないっていう気概が、美味しそうなスパゲティのイメージ以上に僕に迫ってきたのだ。正直かつ正確に描写すれば、こういう気概が僕の胸を打ち、美味しそうなパスタの写真が僕の腹を鳴らせたのだった。
 と言うかこのエントリは料理本を取り上げた感じになってるのか。
[PR]
by mono_mono_14 | 2006-05-25 23:31 | 本/libro | Comments(2)

Rete! 1 を聞いてみる。

Ascolto spesso i cd recitativi del libro "Piazza" con il mio iPod "glico" ma quelle materie che ho scelto sarebbero troppo dificile per me. Peccato. Sembra meglio di scegliere quelle piu' facile allora provo i cd di "Rete! 1".

 しばらく前にようやくのことでせっかく買った“グリコのオマケ版iPod”にて、『Piazza』などかなり緩めなテンションで聞いているのだけど、 いかんせん謙遜度ゼロディグリーの緩さで耳に流し入れているだけなので、あまり効果を上げていない様子が手に取るようにと言うか、耳から漏れていくようにと言うか、ひしひしと感じられる。たぶん教材の選定がまつがっているんだろうと思う。
 というわけで、もう少し簡単・・・かどうかはホントは怪しいのだけれど、かつて受講したイタリア文化会館の講座で使っていたテキスト付属のCDに切り替えてみることにした。『Rete! 1』。こんなのをイヤフォンで聞いて、もしや聞き取り書き起こし(dettato)の宿題で何度も聞いた懐かしい響きについ落涙したりするおそれはないだろうか。ないよ。

 このテキストを使った講座を受け持ってくれたイタリア人講師は4人いるのだけれど、いちばん記憶に残っているのは、最初を担当したフランチェスカ。12回ワンセットの講座の最終日、出口へと向かう廊下で(あぁ、そうだ、まだ廊下がぎしぎしときしむ古い文化会館だった)、ふと振り返り、あなたのイタリア語は悪くないから続けたらいいと思う、と言われて少し嬉しかったのを覚えている(あ、だから記憶に残っているのか、もしかして。現金だな、おれ)。そのひとことを支えに僕は頑張った。
 ・・・というような美談や秘話が、折り返し地点を迎えている人生において一度たりとも訪れたことがない僕なのであった。たいていの場合、そういうひとことにはあぐらをかいた。やはりイタリア語も頑張れていないわけなのであった。なんだかなあ。

 ま、ともあれ、その時々のレッスンのことなどを思い出しつつ、『Rete! 1』を聞いてみる。しかし、iPod glicoに必要なトラックだけをうまく落とせるのかという、甚だ情けない地点に障壁が立ちはだかっているのであった。

※注記というか陳謝。このエントリは、最近、濫用しつつある、有効期限三日坊主的有言実行促進用身勝手宣言系のものであるがゆえ、読んでくださった稀有な皆さまにとって、いつも以上に足しにならない点、心よりお詫びしたい次第。許されたし。
[PR]
by mono_mono_14 | 2006-05-23 21:33 | 伊/italia | Comments(0)

Marty, I agree...

 改めて『メタル マクベス』のパンフを開いてみる。日本語ぺらぺらメリケン・スーパー・ギタリスト、マーティ・フリードマンが加わった鼎談を読んでいる。マーティのコメントに心強く感じるものがいくつかあった。ふたつ、抜き出す。
今、台湾ポップスきてます。台湾ポップス、最高! なかでもジェイ・チョウ(周杰倫)はすごいです。……彼のどこがすごいって、現代のポップスと中国の伝統的な楽器、それから軽くラップとかR&Bとかのテイストを美味しく融合させているところ。
 おー。マーティ、アイ・アグリーよ。ま、僕はジェイしか聴いてないけど。たまたま最近、自分が評価しているものを、誰か(できればこういう著名(?)な人)も評価しているのを知るのは、小さくガッツポーズなキブンだ。もちろん逆向きではガッツポーズの取りようはない。そして、ジェイを聴くようになった偶然と言うか、女神のお告げと言うか、に感謝したい。では次。
ボクも最初から日本語ペラペラだったら、こんなにJポップにハマらなかったかもしれないですね。だから今、台湾ポップスなのかな。意味わからないからかも。
 おー。マーティ、アイ・アグリー・アゲインよ。と言うか、歌詞の意味がわからないことを大事に思う聴き方って、少なくないのかな。最近、僕は、このことがちょっぴりコンプレックスだったのだけれど。鼎談に参加しているいのうえひでのりも岡崎司も歌詞の意味を知らないことをけっこう評価しているフシがある。何か嬉しい。歌詞の意味をあまり取りたくない、という音楽の聴き方は、必ずしも間違ってはいないんだ。
 でも、マーティ。モー娘。が好きという辺りは、アンアグリアブルだよ。・・・そうこうするうちに折しも『ROCK FUJIYAMA』が始まった。愛でよう。
[PR]
by mono_mono_14 | 2006-05-23 01:05 | 雑/quotidiana | Comments(2)

沢木耕太郎『杯 ─緑の海へ』

 『杯 ─緑の海へ』を読み終える。おもしろかった。2002年のワールドカップをひたすらに追い続けた模様を綴った日記と観戦記録と旅行記を足して3で割らない感じの充実本。沢木耕太郎の本を読むのは初めて。淡々としたクールな文体ながら、その筆を運ばせているのは、どちらかと言えば熱くたぎる気持ち、インテリジェンスに裏打ちされたパッションのような気がした。
 韓国と日本の半ば意地の張り合いのような誘致合戦の末、共催という結論に至った。最初でもしかすると最後かも知れないワールドカップの共催。2002年当時の僕は、韓国代表の試合ぶり(ともちろんリザルト)をやっかんでいたんだと思う、共催だったことは努めて考えないようにしていたように思う。沢木も似たようなことを書いていたのだけれど、日本代表が淡々とトルコに敗れ去った数時間後に、韓国代表が死闘の末にアッズーリを地獄の底に突き落とすさまを目撃したりすると、なんで日本は死闘を経ずして消えて行ったのか、と僕もやり場のない苛立ちを覚えたのを思い出した。共催の是非は簡単には言えないけど、この本に折りたたまれて詰まっている韓国を読んでいると、悪いことではなかったんじゃないのかという気にさせられた。

全身全霊で
[PR]
by mono_mono_14 | 2006-05-20 23:59 | 本/libro | Comments(0)

『メタル マクベス』@青山劇場

 メタル調の楽曲に彩られたシェイクスピア。青山劇場にて『メタル マクベス』。劇団☆新感線の持ち味がいかんなく発揮されていると言えるけど、正直、ちょっと長い。舞台の後半、お尻の痛さとの戦いが熾烈だった。
 内野“エリザベート婚”聖陽、松たか子、森山未來、北村有起哉、上條恒彦。豪華客演。しかも脚本は宮藤官九郎。劇団からも、惜しくも古田新太こそいないものの、マイお師匠さん・橋本じゅん、高田聖子、粟根まことはじめ、充実したラインナップ。劇の重要な要素であるヘヴィメタルを奏でる岡崎司率いるバンドも入魂。ともかくすごい布陣。で、以下、多少ネタバレはらみつつ徒然に。

 恥ずかしながら、原作の「マクベス」は読んだことがない(読もうと思って買ってはあるんですよと無意味なエクスキューズ)。よって、実感ではなく漏れ聞いた情報では、ということなのだが、原作の流れに比較的忠実に乗っかっているらしい。そして、ヘヴィメタルという様式にも見事に乗っかっている。『メタル マクベス』の名にふさわしい、看板に偽りなしの仕上がり(なんだと思う。急いで原作を読みますよ)。
 そもそも、開演の合図にジューダス・プリーストを使うような劇団だから、メタルなアレンジは得意中の得意なのだろうが、それにしても見事なまでにメタルだった。コミック・バンド風な仕上がりになっていてもヘヴィメタルという音楽に対する敬意があった。テレビ東京の深夜番組を思い出したりしたのだが、その番組に出ているマーティ・フリードマンがパンフにも出ていた。当たらずとも遠からず、と言うか、どんぴしゃの連想だった模様。あ、このパンフ、少々、値は張るけれど(3,000円ナリ)、キャスト版と解説版の2冊組にしてダブル・アルバムを模したつくりもナイスだし、オマケのDVDも脱力モノゆえ、観劇の記念にぜひ1冊、とオススメしておく。

 マクベス夫妻が野望の実現へと高ぶっていく1幕と、破滅へと転げ落ちていく2幕。
 1幕はとてもおもしろかった。特に、上條恒彦演じるレスポール王のスケールの大きな馬鹿っぷりが素晴らしかった(『SHIROH』の江守徹の役もこの人にやってもらえばよかったんじゃないか)。内野“エリザベート婚”聖陽演じるランダムスターは、ややおとなしくまとまっているような印象だったが、それは、エクスプローラーを演じた橋本じゅんの毒気にあてられていただけかも知れない。僕が心の師と仰ぐ橋本じゅんがたくさん見られてご満悦(ややワンパターン化でまとまりつつあるところが気にはなるのだが)。しかし、新感線の中で見ると、内野の動きは山口トートに近しい味わいを醸していたような気がした。もしかして帝国劇場で何かに感染してたりしてないか? レスポールJrを演じた森山未來は、どっぷりと新感線カラーに染め上げられていたけれど、本人、とても楽しそうに染まっていた。パッと見た感じでは線が細そうなのに、歌も含めてずいぶんと力強い演技だったのが印象的だった。
 2幕の前半はうとうとと寝かかった。たぶんに流れの描写の時間帯だったんじゃないか。しかし、その後に訪れた、松たか子演じるランダムスター夫人が精神を病んでいくシーンは、やっぱりすごかった。惹き込まれた。健やかな心のメーターが振り切れてしまって彷徨うことになる狂気の淵を、この人はいつでも軽々と演じていく。ほんとにすごいと思う。そして、パンのコマーシャルなんかで見るよりも、何倍も美しい表情を湛えている。心底、舞台の人なんだな、と思う(そのくせ、カーテンコールは苦手そうなんだけど)。内野も、崩壊を迎えたランダムスターをスケールの大きな演技で表現した。死は明らかにランダムスター夫妻にとって魂の救済であっただろう。カタルティックな破滅だった。

 舞台セットやライティングは、いつになく平凡だった印象があるが、スクリーンの使い方は、アニメーション等のアートワークを含めて、ずいぶんと突っ込んだものになっていた。これはこれで舞台のつくり方の新機軸になっていくのだろう。字で説明するのが好きな劇団だしね。ただ僕としては、新感線には、いつまでも、建築家的とすら言える空間構想力が発揮された舞台セットを期待したいのだけれど。
 ついでに気になったことと言えば、ストーリー上の主だった登場人物は客演ばかりなこと。劇団員は、いつトップさんに上がれるのだろう。ケツ出しの多用や、どこか上滑り気味のギャグに、ちょっとした焦りのような、微かな違和感を感じたりした。一時期のジーコ・ジャパンにおける海外組と国内組の温度差、モチベーションの違いみたいな、ヘンなぎくしゃく感や諦めムードが蔓延しないといいんだけど。考えすぎか。
[PR]
by mono_mono_14 | 2006-05-20 23:59 | 芸/arte | Comments(2)

2002年のこととか。

 お茶の水の辺りに出かけたついでに日本サッカーミュージアムに足を伸ばしてみた。無料で回れるところをフラッと見ただけなのだけれど、ヴァーチャル・スタジアムというのがすごかった。サッカーコートが端から端まで映る大画面。よくある真上からの俯瞰ではなく、スタンド上段辺りから観た目線で右のゴールラインから左のゴールラインまで見えるのだ。パースが利いて台形のピッチになってしまっているけれど、こうやって眺める試合は壮観だ。見たことないよ、こんな画。
 上映されていたのは2002年の韓日ワールドカップのダイジェスト。あの大会は、日本人がわけもわからず見苦しくはしゃいでしまった気がするし、他にも誤審問題やビッグネームの早期敗退などモロモロあり、全体としてはしらけた大会になってしまっていたんじゃないか、と思っていたのだけれど、画面で観た決勝戦、ブラジル対ドイツは、真剣勝負のピッチと祝祭の気配に満たされたスタジアムが溶け合った、ちゃんとしたワールドカップになっていた。
 たまたま今、文庫化なった沢木耕太郎の『杯 ―緑の海へ』を読み進めていて、2002年大会をじわじわと振り返りつつあるところだったので、いっそう訴えかけてくるものがあった。なんだよ、ちゃんとしたいい大会だったんじゃん、韓日大会。あれからもう4年というのも何だかよくわからない感じがするけれど。こないだのことのようで、ずいぶんと昔のことのようで。

 さらに遡って1998年のフランス大会。ラモスがテレビ放送で辛辣なコメントを連発したこともあり、城が悪者になってしまったのだが、そのラモスをNHKのコメンテーターに推した(少なくともそのきっかけとなるアイディアを与えた)のが沢木だったということを『杯』で知った。あの時、ラモスは確かに思い入れが勢い余った辛口ぶりだったけれど、実際にテレビを通じて観る城のプレーは、いかにも不甲斐ないものに見えた。覇気だけでなく真剣さをすら欠いているように映った。ラモスのコメントを抜きにして、僕もそう感じていたのだ。
 しかし、大会も終わり、あー、ワールドカップがあったよねー、なんていう気分になる頃、あらためてビデオを観返した時、城のプレーがちっとも悪くないことに驚いた。冷静に観れば、城は日本代表のトップとして合格点の出来だった。と言うか、いいプレーをしていたのだ。でも、ライブで観ている時は、とにかく城に納得がいかなかったのだ。確かにそうだったのだ。後から思えば、この落差がきっとワールドカップなんじゃないか。ワールドカップを観ている時には気づかなかったことだけれど。そして、幸せなことに日本代表を応援できるワールドカップも3回目となるこの6月も、8年前のように冷静さを欠いてテレビにかじりつけたらいいなと思う。
[PR]
by mono_mono_14 | 2006-05-17 23:59 | 蹴/calcio | Comments(2)