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カズ──魂尽きるまで

Mi sono visto un programma televisivo su Kazu. Anche se sta passando il tempo amaro nella sua carriera (non e' la prima volta), ma Kazu mi sembra sereno come sempre e si diverte di giocare a calcio. Mi commuove. Boa sorte, Kazu!

 NHK-BS1で放送された『ドキュメント スポーツ大陸(この題名はナントカ権に触れたりしないのか、中身は某局の「○○大陸」と変わらないんだけど)で「カズ 魂尽きるまで」を観た。・・・異常値だ。あり得ないよ、カズ。あの強さ、繊細さ、努力。不安と誇り。カズを見ていると、例えば「オレを誰だと思ってるんだ!」みたいな恫喝や狼藉はプライドの現れなんかじゃ決してない。カズのプライドを見よ。ベンチ入りすらできない日々でも、たったひとり、黙々とピッチを走り続ける。今の状況は不甲斐ないとは言っても、僕はダメだとだけは決して言わない。状況は受け入れた上で、甘んじない、腐らない。何だ、それ。あり得ない。すごい、すごすぎる。
 自分より年上だろう夫婦の奥さんの方から手紙をもらったんだ、とカズがエピソードを披露する。一緒に試合を観に行った夫が、カズが出場してるだけでうるうるして、カズのゴールに涙をぼろぼろこぼして、今日はいい日だったな、としみじみもらした、あんなしあわせそうな夫は久しぶりに見た、という手紙だった、と。それを読んで、あー、自分が点を取るのはこんなにすごいことなんだなと思った、頑張る、と言っていた。その話を聞いている僕も涙をこぼしていた。おー、すげーわかるよー、夫ー。
 パク・カンジュとの師弟話もよかったな。韓国代表のユニフォームをまとった試合のゴール後にカズダンスを披露したカンジュはタダモノではないと思う。それもカズだからこそなせるワザだ。
 カズ、絶対三ツ沢行くから。
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by mono_mono_14 | 2005-07-31 03:32 | 蹴/calcio | Comments(0)

夢の生成:『佐々木睦郎展』

Con la tecnologia computazionale Mutsuro Sasaki sta creando una nuova via architettonica, ovviamente in collaborazione con i grandi architetti. Non si potrebbe capire i lavori di Sasaki immediatamente pero' quasi tutta la gente sentirebbe l'attrattiva spaziale effettivamente.

b0018597_17415724.jpg 「せんだいメディアテーク」(伊東豊雄)とか、「金沢21世紀美術館」(SANAA)とか、あるいは世界の話題のコンペのあちらこちらとか、話題の建築には佐々木睦郎の名前がある。構造家。建築家のアイディアを具体的な建物として成立させるためには、構造家が不可欠。戸建て住宅や四角いビルだったら、だいたいこんな感じで柱を建てれば大丈夫だなって簡単にわかるけれど、建築家が夢想したり妄想したりする建物の中には、どうやって建てたらいいのさ、というようなのがワンサとある。それを「こうすれば建てられますよ」とか、場合によっては「こんなカッコイイふうにもできますよ」なんて言ったりするのが、構造家のシゴトだ。・・・大筋では合ってると思う、許せ。その佐々木の最近のシゴトをばばーんと見せた展示、『佐々木睦郎展 FLUX STRUCTURE』を見に乃木坂にある「ギャラリー・間」へ行ってきた(またもや会期最終日)。ギャラ間なんて何年ぶりかしら...(遠い目)。

[つづき]ケンチクの最先端はスゴイ
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by mono_mono_14 | 2005-07-30 17:45 | 文/cultura | Comments(2)

不意に「ヴェネツィア的生活」が

Che sorpresa! Incredibile! Oggi l'autrice di "alla veneziana" mi ha dato un e-mail. Lei, Tenco-san mi ha informato anche l'indrizzo del suo bellissimo sito internet. Grazie a Tenco-san. Allora vi darei una mia piccola storia veneziana per commemorare questo episodio.

 なんと、ヴェネツィアの話をした時にちょこっと紹介した『ヴェネツィア的生活』を書かれた角井典子さんからメールなどいただきまして。エントリを読んでいただいたらしく。びっくりだー。まさに「ビバ、インターネット!」状態。ご自身の素敵なウェブサイト『GAZZETTA TENCO』もご紹介していただきました。もう何年も稼働しているサイトのようなので、ご存じの方も多いかも知れませんが...。僕は知らずにいましたよ。典子さん、どうもありがとうございました。

 というわけで(どういうわけで?)、僕のなけなしのヴェネツィアを。

[つづき]僕のなけなしのヴェネツィア
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by mono_mono_14 | 2005-07-29 23:59 | 伊/italia | Comments(0)

CD寸評:D.Gray/arcoiris/J.Johnson

I commenti sui tre cd che ho comprato oggi. Uno da David Gray che conoscevo ad un weblog del mio favorito suona cool e sara' adatto alla notte. Uno da un gruppo italiano Arcoiris fa la musica brasiliana condito del jazz. Non c'e' niente da dire sul suo secondo cd da Jack Johnson, e' bello come sempre.

 銀座に写真展を覗きに行ったついでに、数寄屋橋のHMVに寄る。デイヴィッド・グレイ、アルコイリス、ジャック・ジョンソンの3枚を買ってみる。ジャック以外は初めて聴くアーティスト。

[つづき]それでは聴いてみましょう
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by mono_mono_14 | 2005-07-29 23:28 | 音/musica | Comments(0)

『都心に住む』写真展

A una mostra fotografica tenuta alla piccola galleria di Recruit a Ginza mi e' piaciuta. Quella mostra titolata "vivere in centro tokionese" ha mostrato delle foto da Takashi Homma ed altri fotografi dei palazzi che stanno passando loro grande storie.

b0018597_2593535.jpg 今日が最終日の『都心に住む』写真展。存在を知ったのがおとといくらいだったのでぎりぎりセーフ。リクルートが出している『都心に住む』というムック誌の表紙は、東京都心部のマンションの風景などが飾られているのだけれど、ここ何年かはホンマタカシが撮り下ろしていたらしく、この小さな写真展は、それらをはじめとする東京の風格あるマンションの写真を展示したもの。「ホンマタカシ表紙写真+10人の写真家によるヴィンテージ・マンション10」という副題がついている。
 いや、おもしろかったです。長い時間を生き延びるマンション。歴史的ストックとしてのマンション。そんな言い方ができる時期を迎えたんだなあ。感慨深い。同潤会以降、ロクな集合住宅をつくれていない、と言われ続けているのだけれど、ちょっぴりずつ、ただの億ションとは一線を画す(それでもやっぱり億ションなんだと思うけど)風格あるマンションがつくられていたのだよ、うん。
 最近のマンションのチラシを見ると、ウリにしてるのは設備だったり仕上げだったりするけれど、こういうヴィンテージな逸品を眺めると、やっぱり空間自体のボリュームと丁寧な施工が決定的に重要だということが理解できる。被写体に選ばれた10のマンションのうち、僕が気に入ったのは「ホーマットキャピタル」「代官山ヒルサイドテラス」「コープオリンピア」。と言っても気に入ったのは「写真」なのだけれど。
b0018597_32039.jpg 会場は、銀座のビルのスキマから地下に潜り込むようなカンジの『guardian garden』。赤色が効いたかわいいギャラリーだった。
【写真:通りに出されたサイン→階段を下りる→かわいい入口が】
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by mono_mono_14 | 2005-07-29 16:39 | 文/cultura | Comments(0)

ことばの森で

I lavori linguistici da Jenny Holzer, un'artista americana mi fanno sentire interessante molto. Ho saputo che si puo' vedere un suo lavoro in un palazzo ad Osaka. Vorrei andarci.

 またもや夜中に本棚と戯れていたら、『ジェニー・ホルツァー──ことばの森で』なぞ見つけ出した。ジェニー・ホルツァーは、たぶん、何かの雑誌(公算としては例によってBRUTUSが大)でチラッと紹介されていたのを見つけて「おぉっ!」と思ったのだったと思う。そして、後日、この本を見つけて買った。それがいつのことかは思い出せないけれど、10年くらい前になるのかも知れない。1994年に水戸芸術館で開催された展示のカタログ代わりの本らしい。僕は、この展示に出かけたわけではなく、書店で発見しただけなのだ。
 ジェニー・ホルツァーは、街なかにテキストを投げ出すアーティストだ・・・というのは僕の認識で、これがどの程度の正しさを持っているのかはわからない。詩人かも知れない。メッセージ性の強いセンテンスを街角に貼り出したり、電光掲示板に流したり、そういう仕事をしている人だと僕は思っているのだ。だから、短いセンテンスを量産している人だと思っていたのだけれど、久しぶりに見たこの本には、それなりに長い詩のような作品も収められていた。それでも、僕を惹きつけるのは、「自明の理」と題された1977年発表の作品だ。いくつか書きつけてみる。
A SENSE OF TIMING IS MARK OF GENIUS
CONFUSING YOURSELF IS A WAY TO STAY HONEST
ENJOY YOURSELF BECAUSE YOU CAN'T CHANGE ANYTHING ANYWAY
IT'S BETTER TO BE NAIVE THAN JADED
OFFER VERY LITTLE INFORMATION ABOUT YOURSELF
MUCH WAS DECIDED BEFORE YOU WERE BORN
SOLITUDE IS ENRICHING
YOU MUST HAVE ONE GRAND PASSION
 こんな感じのセンテンスがたくさん並んだ作品だ。きっと僕にもっと英語力があったら、もっと作品を味わうことができるんだろうけど、残念ながら、脇に添えられた邦訳を参照しながら作品を味わっている。
 この本以降の10年間はどんな仕事をしているのだろう。少しググッたら、2002年にできた大阪の中之島三井ビルにホルツァーの作品が常設展示されているらしいのを知った。大阪に行く機会はなかなかないのだけれど、ちょっと見てみたい。
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by mono_mono_14 | 2005-07-28 23:59 | 文/cultura | Comments(0)

シゴトってのはムズカシイ

Mi pare che la difficolta' di lavoro sia la condizione di pagamento, in ogni livello (l'altra sia fare la decisione). Se non si paga niente, non e' il lavoro, senza dubbio. Ma guardare il lavoro dal punto di sordi mi sembra decrescere di amenita' di lavoro un poco.

 ともあれ、シゴトってのはムズカシイ。ナカミではなく、シゴトには対価が支払われるっていう、アタリマエの構造のところがムズカシイんだと思う。売る方も買う方もハッピーになれればいいし、そうなれるはずなんだけど、どちらか片方が(往々にして双方が)アンハッピーな形で終わるシゴトも多い気がする(もったいないことに)。特に「企画」とか「計画」なんていう目にも見えないようなワケわからないモノ(コト?)を商品にするのは、なかなかにタイヘンだ。いや、目に見えるモノだって一緒だな、きっと。対価が先に決定するタイプのシゴトなら、シゴトの成果が有形だろうが無形だろうが、同じようなムズカシサがあるはずだもんなぁ。ともあれ、シゴトってのはムズカシイ。

 以上、ありがちなちょっと不愉快な打合せ後に、岩井克人の本など読みつつ、徹夜ボケのアタマに思い浮かんだことの覚え書き。ついでに、その本に「起業への取り組みや小規模企業のあり方に関しては、たとえばイタリアが、アメリカとはまったく異なった「成功モデル」を提示している」と書いてあったこともメモ。
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by mono_mono_14 | 2005-07-27 23:59 | 雑/quotidiana | Comments(0)

新旧と美醜に関する覚え書き

Una ricerchina dice che i vecchi edifici sembrino brutti ai giovani giapponesi. Se si', dove dovranno andare le nostre citta'? Dovranno sempre essere ricostruite nuovamente? Allora non ci sara' niente da imparare dai paesi europei sulle filosofie e tecniche per mantenerle? Non ci credo mai.

 訪問が準日課と化しているこちらのサイトで、とても興味深い記述を見つけた。一般人的な感覚として、「醜い=古い/ボロいもの」という傾向が強く見られたというのだ(2005/7/23付937番の記事)。裏側には「美しい=新しい/キレイなもの」という傾向もあったのだろう。以下、これを発端とした妄想の覚え書き。

 もし新旧という判断のモノサシが与えられたら、目盛の優劣はにわかには決定できない。対象によってまったく違うからだ。しかし、美醜というモノサシが与えられたら、まずは美に優位との判断を与えるべきだと思う。だから、美=新、醜=旧というオートマティックなトランスレーションが無意識の前提にあるというのは、ちょっと困る。対象が都市や建築であるのならなおさらだ。美=旧、醜=新という判断も、とりあえずは同程度あってほしい。と言うか、美醜のモノサシは新旧とは無関係であってほしい。都市や建築は、闇雲に保存すればいいというものでは決してないし、常に新しい生命が吹き込まれなければならない存在だけれど、同時に新旧というモノサシで簡単に測れる対象でもないはずなのだ。

 この1週間、還暦が迫っているとは思えない若さ全開で陣内さんが熱く語っていたように(って実は録画しただけで半分も観ていないが)、イタリアをはじめとしてヨーロッパの諸都市では、過去を参照するどころか外観的には凍結保存に近い状態で保たせているところもたくさんある。そのことに対する不自由さも常に言われはするのだけれど、やはり少なからぬウェイトでそれぞれの街のアイデンティティの一部となっているように見受けられる。もちろん、日本にだって、少なからずそういう街はあるし(重要伝統的建造物群保存地区なんていうのが指定されていたりする。住んでいる人には誇りも不満もあると思う)。ともあれ、ヨーロッパの実践からヒントをもらうことはたくさんあるはずだ。

 幸いここのところリノベーション流行り。今、東京でリノベーション(建物の改修、転用、再生)を仕掛けているのはイデーなんていうオサレなところ(の独立部隊)だったりもするので、多少、オサレなブームなニュアンスもあるのだけれど、改修は少しずつ基本的な態度になってきていると思う。冒頭で参照したサイトに紹介されていた漆器展は、どうやらリノベーションした古いビルで行われているらしい。ビル見学も兼ねて覗きに行きたい。

 ・・・こんなメモ(脈絡なくてスミマセン)を書いてみたら、少し勉強しなくちゃという気になってきた。たなぼた? やぶへび?

 ちなみに、参照したサイトの主は、僕と同世代の建築史家・五十嵐太郎さん。『Casa BRUTUS』にも連載を持ってたりして、売れっ子。
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by mono_mono_14 | 2005-07-25 23:51 | 街/citta | Comments(2)

両極のユーラシア

Una mostra architettonica tenuta al spiral non mi ha interessato molto, onestamente. Le dieci coppie di un (gruppo di) aruchitetto spagnolo e quel giapponese hanno mostorato loro progetti ma non ho trovato quasi niente di armonia in ogni coppia.

b0018597_1626639.jpg スパイラルで今日まで開かれていた『EXTREME EURASIA スペイン−日本 大陸を越えた建築の対話』に足を運んでみた、のだけれど、うーん、まさに現代日本語の「微妙」がすぽんと当てはまる感じの展示だったな。やはりユーラシアはまだまだ大きすぎたのか。野心的なプロジェクトのはずなんだけど、たぶん、こういうプロジェクトをやるには、参加建築家がみんな忙しすぎるんじゃないか。とは言え、忙しい人たちじゃないと取り上げる意味があんまりないし。痛し痒し。

 スペインと日本の建築家がそれぞれ1人(あるいは1グループ)ずつ選ばれてペアを組む。全部で10のペアがある。各ペアが立方体型の作品と円柱型の作品を協働でつくる。でも、ペアを組んだことによるハーモニーとか、異化作用とか、相乗効果とか、あんまり感じられなかった。小嶋一浩とエドゥアルド・アローリョのペアなんかは、一緒にやっている意味がほとんどない展示だった。アローリョのサッカースタジアム(バラカルドという街にあるらしい)を題材にした映像作品は、とてもチャーミングで素晴らしかったのだけれど。肝心のスタジアム自体もよさそうだった。
 ペアの効果が発揮されたのかどうかはさっぱり判断つかないのだけれど、妹島&西沢(SANAA)とサエラ&モウサビ(foa)の作品は雰囲気がよかった。特に、不定型な塔状のオブジェクトが何本も並べられた立方体の作品は、その塔と塔の間のスリットが迷宮の路地のような雰囲気を醸し出していて、見飽きなかった。

 ペアごとのカタログを200円で売っていたのだけれど、無人野菜販売所みたいに1冊取ったら各ペアの箱に200円を投入していく仕組みだったから、かったるくて1冊も買わずに帰ってきた。誰が100円玉を20枚も持ってるのか。もう少し売り方を考えてくれたらいいのに。無料で配布していた総合カタログは、日本語版と英語版があったのだが、両者の内容がずいぶんと違っていた。これも考えものだと思う。僕はたまたまどちらも持ち帰ったからよかったけれど。
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by mono_mono_14 | 2005-07-24 16:00 | 文/cultura | Comments(0)

極楽ビストロ『ル・プティ・トノー』

Mi sono mangiato la cucina francese con i miei amici al bistro' chiamato "le petit tonneau" dove non sono mai stato prima. E' stato un bistro' bellissimo e la cucina e' stata buonissima. Ci andro' ancora, giurabbacco.

 友だち6人で晩ご飯。お気楽フレンチで、なぜかアウェイなキブン。九段下にある小さなビストロは、何度か通ったことがあるという人が押さえてくれたのだけれど、いや、すんごくいいお店でした。『ル・プティ・トノー(le petit tonneau)』。こぢんまりとした店内は満席の賑わいで、そのざわざわ感が異常に心地よい。行きつけにできたら最高だろうなあ。とりあえず、きっとまた行こう。

 店員がフランス人で、カタコトでもフランス語で話せたらいいのに、と思ってしまった。カタコトのイタリア語も英語も話せないのに。うっかりすると日本語もカタコトになってしまうのに。でも、アチラの母国語でやりとりできればいいのになーというカンジが、語学を学ぼうと思う時の、必要に迫られたのでない場合の筆頭理由なんじゃないか。昨日だって、メニューを開きながら、どちらがオススメ? ってフランス語で訊ければ、他のオーダーよりも1割増しくらい美味しくつくってくれるんじゃないかという気がした(勝手な錯覚だけれど)。実際には、昨日、駆使したフランス語は、メルシとボンソワのみ。第二外国語はフランス語だったのになー。鼻づまりな声質がさいわいして好成績(誇張)を収めたのになー。ウィ、ウィ。

 昨日、フランス風味の雰囲気に浸りながら、改めて思ったのだけれど、僕にとってはイタリアとフランスには、さほど差がないのだった。いや、差がないわけではないのだけれど、『あつあつイタリアーナ』と『あつあつボンジュール』(このタイトルはいかがなものか)という2つのTV番組(たった5分の番組)が、いずれも僕の心を捕らえて放さなかった(誇張)のと同じような意味で、さほど差がないんだよな、ということに改めて気づいた。つまるところ、フランスもよいよー。そして間違いなく、スペインもよいよー、と書き足しても大丈夫。
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by mono_mono_14 | 2005-07-23 16:05 | 味/buono | Comments(2)