カテゴリ:街/citta( 75 )

K坂の情景 12

 歩道にあふれた人。カメラを向ける人。坂の中腹にある小さな、だけれどもこの坂を印象づける役割も大いに果たしているお寺の境内で、節分の豆まきが行われているようだった。豆がまかれ、たくさんの手が宙に伸びる。小さな紙の袋に入った何粒かの福豆を運よく掌中に収めた人は、やはりなんだかいいことがありそうな心持ちがするのだろう。僕は門前の歩道からほんの一瞬、そんな風景を目にしただけなのだけれど、それで十分に福を味わった気がする。[2014.02.03-15:30]
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by mono_mono_14 | 2014-02-04 11:58 | 街/citta | Comments(0)

K坂の情景 11

 神社と一緒に建ったモダンなマンション。その裏手側には、かつての面影が東京らしいごった煮的な風景として取り残されていた。まるでちょっとした展示であるかのような唐突さで現れた井戸は、装いこそ新ただけれど、きっとかつてからそこにあったのだと思う。絶えず引き直される境界線の狭間に、何の変哲もないかつての東京が残る。時に新しさにひるまない潔さすら漂わせながら。はからずも立ち現れる新旧のモザイク。それが東京の奥行きを醸しだす。[2013.08.01-13:00]
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by mono_mono_14 | 2013-08-01 17:46 | 街/citta | Comments(0)

彫刻2景

I due paesaggi scultorei a Tokyo.

 都心の彫刻2景。東京しごとセンター(なんというネーミング!)のエントランスにある安田侃。東京都庁の連絡通路に置かれたイサム・ノグチ。公共施設がこういう彫刻作品を設置することの「ゼイタクさ」は問わない。これらが妥当かどうかは判断できないのだけれど、ゼイタクは必ずしも敵ではないし、人々が(少なくとも僕が)アートに触れる機会となっていることは確かだ。
 写真を撮ったのは必ずしも最近なわけでもないのだけれど、写真を正方形にトリミングしてくれてちょっとしたフィルタ処理も提案してくれるツール(インスタグラムと書け)をかませてみたのは今日のこと。
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by mono_mono_14 | 2013-06-25 21:30 | 街/citta | Comments(0)

長崎弾丸旅行備忘録

Sono andato a Nagasaki con i miei amici liceali, anche se e' stato un viaggio piu' breve, mi sono divertito tanto questo viaggio. Ho pensato sulla bomba atomica che distruggeva questa bella citta' sul mare. Vorrei visitarci ancora, ed anche ad Hiroshima.

 長崎はいい街だと思う。少なくとも訪れるにはすごくいい街だ。港。路面電車。坂。歴史。異国情緒。さるく。郷土料理。皿うどん。空港がもう少し都心に近ければもっとよかった。

 長崎港に面した水辺の森公園は、土木・造園・建築・プロダクトなど多分野にわたるデザイナーたちの志と努力の結晶で、かねてより訪れてみたい場所のひとつだったが、今回の旅程ではきちんと見て回るのは難しいことはわかっていた。港に釣り糸を垂れる親子連れの後ろ姿が微笑ましかった。バケツをそっと覗いたら、やや青みがかった魚が1匹泳いでいた。1日をのんびり過ごせそうないい公園だと思った。再訪を期す。どうせなら運河をまたいで建つ県美術館の展示がおもしろそうな時がいい。もっとも、今回やっていた展示は十分におもしろそうだった。

 軍艦島はとてもとても興味深かったし、考えさせられるものがあった。その感覚がどこから来るのかを自問すべきだと思った。今はとにかく、かつてそこにあった生活、疾走する高度成長の一端をものすごい形で支え続けた炭鉱マンとその家族たちの生活に敬意を表したい。軍艦島は、今のままで行けばいずれ朽ち果てるしかないだろう。純度100%の潮風と高潮が強烈に鉄筋とコンクリートを痛めつけ、容赦ない台風が年に何回も襲いかかる地だ。補修のしようがあるのかもわからないし、補修した姿が軍艦島らしさを保てるのかもわからない。ともかく、今回、上陸できてよかった。

 到着したのが、日がいくらか傾いてきた時間だったこともあってか、浦上天主堂は人もまばらで、透けるような静けさに包まれていた。煉瓦をまとった天主堂は、アプローチが登り坂になっていることもあって、抜けるような青空に向かって伸びるようで、写真で見る南イタリア辺りの大聖堂を思い起こさせた。借り物ではない根づいた感じが隅々まで行き渡っていて、大切に、大切に接されている建物だということが見て取れた。堂内が素晴らしかった。もう少しゆっくり、その場にいればよかった。

 長崎原爆のグラウンドゼロは、ずいぶんと慎ましやかな公園で、訪れた時は人影も少なかったが、漂う気配は濃かった。どことなくダニ・カラヴァンとかグンナール・アスプルンドの風景を思った。伏せた目ときつく結んだ唇の横顔に宿る力強さに気圧されるような、そんな空気だった。平和祈念像のある平和公園は、もう少し柔らかな印象の、ちょっぴり台北かどこかの観光地みたいな気配だったが、原爆の確かな痕跡に、僕は圧されたままだった気がする。これまでいくたびも8月を過ごしてきたけれど、僕は原爆のことを何も知らなかった、ということだけははっきりとわかった。広島にも行こうと思った。そして長崎にもまた。

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by mono_mono_14 | 2012-11-07 02:24 | 街/citta | Comments(0)

連載・東北紀行(第11回)

11.女川町
 女川町(おながわちょう)の周辺の町村は、石巻市と合併したのだが、原子力発電所を持つ女川町は、その合併とは無縁のまま女川町を貫いている。玄海町と唐津市の関係と同じ構造だ。その是非はまた別の問題だし、僕には深く立ち入る知見もない。ただ、あ、同じなんだなとの思いを持つのみだ。
 女川町を訪れたのは朝の9時前。やはり濃い霧がかかっていた。海に近いながらも海抜16mほどの小高い位置にある女川町立病院へ向かう。この病院の1階半ばまで津波が押し寄せた。市街地の浸水深が20m近い計算になる。駐車場から市街地を見やる。すぐそこにある海から津波がやってきて、この辺りの市街地がほぼ完全に水没したことになるが、その光景を想像することは難しかった。眼前には鉄骨造と思われる3階建てがひっくり返って屋上をこちら側に向けている。その他にも転倒した鉄骨造・鉄筋コンクリート造の建物がいくつもある。ひしゃげて横たわるオイルタンク。そこにあったものではなく、湾を渡って運ばれてきたものらしい。
 ゆっくりと海沿いに車を走らせる。地盤沈下が激しく、応急処置が施された道路は、地盤面から70cmほどは嵩上げされている。道路面からさらに陥没している宅地もある。沈下の深さは1mに達しているかも知れない。海の中に建っているかのような建物があるが、そうではない。地盤沈下でふ頭が浸水してしまっているのだ。その壁面は、巨大な鉄球が直撃したかのように凹み、抜け落ちている。ものすごい圧力がかかった様子が見て取れる。海は、湖のように凪いで穏やかな表情を見せていて、このコンクリートの壁を打ち破ったりすることなど、どうやってもできそうもない。海がそこまで凶暴になれるとは、津波を覚悟していたはずの地元の人たちにも、もしかすると想像できなかったことだったかも知れない。やませの中に消えていく穏やかな海面と、辺りに広がるとてつもない光景とのギャップ。
 海辺の市街地から町立病院を振り返る。病院に向けて避難階段が伸びている。いざという時に駆け上るための階段だ。この階段を上りきれば津波にやられることはない。そう思えるくらい、病院は、十分に高い位置にあるように見えた。
 次の街へと移動する。女川の海を背に石巻へと向かう。道路沿いには更地になってしまった土地が続き、脇の斜面に沿って少し上がった辺りに家並みが残っている。冷酷な運命のコンターライン(等高線)。その境界へ身を置く経験は持てぬまま、車窓から食い入るようにその風景を見ていた。

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町立病院から市街地を臨む。想像できない津波が残した爪痕。

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転倒したRC造3階建て。大地と接していた基礎を顕わにしている。

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by mono_mono_14 | 2012-08-20 23:14 | 街/citta | Comments(0)

K坂の情景 10

 不動産開発の手法ですっかりモダンに生まれ変わった神社の境内を通り抜ける。ケヤキの大樹の葉ずれが美しく、思わず足を止め梢を見上げた。清らかで爽やかで軽やかな音色ながら、どこか凛とした神々しさをもまとっていたのは、キャピタリズムと手を握ったように見えても、ここがやはり厳然として神社であることの証だったのかも知れない。そう思わせる響きだった。この響きを撮し留めたいと思ったのだけれど、神様は取り合ってくれなかったようだ。[2012.2.12-12:28]
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by mono_mono_14 | 2012-05-12 13:21 | 街/citta | Comments(0)

連載・東北紀行(第10回)

10.石巻市雄勝町
 雄勝町(おがつちょう)は、2005年の合併で石巻市の一部になった。太平洋に面する小さな町だ。僕らが三陸海岸を駆け足で南下していたその時期には、雄勝町へ海沿いのルートで入ってくることはできなかった。南三陸町から内陸側に大きく迂回し、北上川に沿って海に向かい、悲劇の大川小学校に立ち寄ってから(やりきれなさが募った)、雄勝町に入るルートをたどった。
 だんだんと日が傾いていく時間だった。おりからの霧と相まって、遠くまで辺りの景色を見通すことは難しかった。被害は壊滅的で、警備員と遠くにいるダンプの他には辺りに人の気配はない。立入が制限されている範囲もある。まだ捜索も完了していないらしかった。静かだった。その静けさの中、公民館の屋上に乗っかった大型バスがくっきりと曇り空に浮かび上がった。不思議な時空間だった。
 辺りを少し歩いてみる。水面の近い小さな河川が、背骨のように市街地を抜けて海へと向かっている。後日、調べると大原川という名らしかった。素っ気ない三面張りの河川だけれど、この川が、雄勝の市街地に好ましいまとまり感とスケール感を与えていただろうと思う。大原川を中心に置いて、両側から市街地を抱きかかえるように緑の丘が海へと伸びている。いい街だったんじゃないかなと思わせる空間の骨格がある。その市街地が、おそらくはまるでダム湖のように津波で満たされ、その後に全てが奪い去られたのだと思う。川沿いにはインフォメーションセンターや雄勝硯伝統産業会館などの公共施設があり、それぞれ津波に打ちのめされた姿を呈している。叩き折られたコンクリートの壁、屋根ははぎ取られ、鉄骨の下地材もあちこちに押しやられ、ひしゃげている。鉄筋コンクリート造の建物がいくつか残ったのは、頑丈さだけでなく、建物の短辺が海に向いていたこともよかったのではないか。ただし、屋上までやられているので、高さは不十分だっただろう。
 地図で見ると、雄勝湾は、入り江のように懐の深い湾で、かつ途中で直角に折れ曲がっている。そんな屈曲をものともせずに津波はやってきて、湾の最奥部にある市街地を破壊していった。そのすさまじさを、僕らはほんの少し垣間見ただけだ。その懐の深い雄勝湾に沿って、いくつもの集落が張りついていたようだが、そのひとつひとつをそれぞれに巨大津波はなぎ倒して行ったのだろう。そういう集落をほとんど訪れることができていないのが、今回の駆け足視察の心残りだ。結城登美雄『東北を歩く』など読むと、なおさらそういう思いが強くなる。夕暮れが迫りつつあった。来た道を引き返して宿を目指す。あの日、大津波を内陸側へと運んでいった北上川の水面は、静かで雄大だった。

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津波に運ばれて公民館の屋上に漂着した大型バス。

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川沿いの風景。形をとどめる建物はごくわずかだ。

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by mono_mono_14 | 2012-04-22 13:03 | 街/citta | Comments(0)

K坂の情景 9

 メインストリートから川筋へ向かって坂を下り始めた辺りに、何とも言えない風情を漂わせている建物がある。それなりに年季の入った木造家屋に手を入れている。目立つことはしていないが、照明器具などを見ればこだわりの改装であることは間違いなく、結果、思わず目が留まる気配を放っている。屋内は緑で満たされている。看板や入店を促すサインなどは見あたらないのだけれど、先ほどのネット検索で10年来の花屋であることが判明した。美しい。[2012.4.20-19:33]
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by mono_mono_14 | 2012-04-22 12:14 | 街/citta | Comments(0)

連載・東北紀行(第9回)

9.南三陸町
 南三陸町(みなみさんりくちょう)の被災エリアに向かう前に、高台の志津川商工団地を経由する。同行の事情通の説明によれば、この商工団地は、三陸沿岸における臨海部ではない工業団地で成功した、ほぼ唯一と言ってもよいような事例なのだと言う。三陸の地にいかに内陸型産業が根づくことが難しいか、ということらしい。裏取りはしていない。誤認であるかも知れない。この団地は、高台ゆえ津波被害はもちろん皆無で、その一角に位置するアリーナには役場機能が移転されている。ボランティアの受付などもこの団地内に設置された大型テントで行われていた。
 国道45号に戻り被災エリアに降りていく。いたるところで壊滅的な被害だ。海岸まで行き、手すりの壊れた階段を十数段ばかり上って防潮堤の上に立つ。海を背にした180度のパノラマには、破壊の限りが尽くされた市街地の変わり果てた姿が広がる。水産加工場があったのだろうか。家々が並んでいたのだろうか。骨組みだけであっても建物の形をとどめているのは、2階建てか3階建てがほとんどなので、おそらく平屋と2階建ての街並みがあったのだろうが、それ以上、被災前の様子を窺い知ることはできない。穏やかな海が、ときおりチャポンとのどかな音を響かせながら、僕の背後にたゆたっている。僕が知っているのは、いつだって優しげな海ばかりだ。
 南三陸町の防災対策庁舎で起こった出来事については、すでに広く報道されており、僕らもそのいくばくかは知りつつ現地に赴いた。防災対策庁舎は、鉄骨の骨組みと床スラブを残すのみの無惨な姿で、同じく無惨な様相の市街地(の跡)に建っていた。正面には献花台が設けられ、僕らのようなよそから立ち寄った人たちだけでなく、この街で被災した人たちが、ぽつりぽつりと、でもさほど途絶えることもなく、手を合わせに訪れていた。防災無線で避難を呼びかける声を聞いて高台へと避難して、その高台から巨大津波が防災対策庁舎に襲いかかるところを見たという人が大勢いるのかも知れない。その胸中を察してみようとしても、とても察しきれるものではない。
 海辺に4階建ての公営住宅が建っていた。もちろん巨大津波の直撃を受けたが、破壊や流失は免れた。屋上が避難スペースになっている。ネットに見つけた報道によれば、この屋上まで津波は到達したものの、屋上に避難した人たちはみな無事だったと言う。5階建て以上の頑丈な建造物があれば、今回のような巨大津波でも、ほとんどの場所で命を守ることはできたのではないか。この公営住宅の姿にも車窓からカメラを向けたのだが、濃霧にぼんやりとシルエットが浮かび上がるだけだった。

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基礎や骨組みだけを残す海岸沿いの市街地。湛水もひどい。

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防災対策庁舎。多くの犠牲を悼む献花台が設置されていた。

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by mono_mono_14 | 2012-04-18 17:27 | 街/citta | Comments(0)

東京駅

La Tokio stazione e' in restauro. Paragoniamo i panorami prima e dopo.

 東京駅丸の内駅舎。絶賛復元中。徐々にその全貌が明らかになりつつある。ドーム屋根の雰囲気などは、やはり以前の「間に合わせ仕様」と較べれば、歴然とよい。東京駅上空の開発権(余剰容積率)を周りのオフィスビルに売り渡し、それで得たお金を復元費用に充てている。
 反対側の八重洲口には、モダンな大屋根とデッキが架けられる予定。絶賛工事中。こちら側は見に行ったりはしていないけれど、駅前に4つばかりクレーンが並んでいるのがこの写真にも写っている。
 この写真(上)は、2週間ほど前に新丸ビルの9階から撮ったもの。わかりにくいけれど、奥の方に八重洲通りが見えている。ここが表参道のような緑で覆われた通りとなって隅田川にまで伸びていったら、それは世界に誇れるような風景の骨格になるように思う。
 参考までに、新丸ビル7階から撮った修復前の東京駅の写真(下)も載せてみるサービスぶり。撮影は約5年前。つなぎ合わせた形跡を隠そうとした形跡のないパノラマ写真が愛くるしい。

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by mono_mono_14 | 2012-04-16 23:38 | 街/citta | Comments(0)