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とてもとても予想できないこと

La mia piccola storia sportiva che mi sono ricordato alla prima sera della nostra sfida tedesca. Quando ho comiciato a giocare a pallone, circa 30 anni fa, nessuno non si poteva immaginare di oggi che tutto il Giappone si interessa al calcio.

 僕が小学校中学年の頃、はじめてサッカーの小学生チームの全国大会が開催された。30年くらい前のこと。僕はもちろん出てない。と言うかサッカーを始めてない。ともあれ、その頃に、全国各地で少しずつ小学校にサッカーチーム(サッカー少年団とか呼ばれていた)ができて、放課後のスポーツが野球しかなかった僕らに少し選択肢ができた。
 しかし、その頃の僕は、何を血迷ったのか、剣道なんぞをやっていた。父が勤務する工場に剣道部があって、そこのサラリーマン剣士たちがほとんどボランティアで教室をやっていたんだと思う。もう覚えてないけど、確かそんなことだった。たぶん肥満対策とか小児喘息対策とかそんなことで、親は僕に何かスポーツをやらせようと努めていて、その頃はなぜか剣道に白羽の矢が立っていたのだ。僕は剣道が好きになれなかった。30年も経ったオトナだから「好きになれなかった」なんていう表現を使ってしまったが、まあ、嫌いだった。だって、痛い。冬は寒い。防具一式を抱えていくのは重くてつらい。
 ある日、僕は稽古をサボることに成功してしまった。行ってきまーすと家を出るや否や、物置みたいなところに防具一式を隠し、手ぶらで出かけていく。稽古が終わって帰宅する頃を見計らって何食わぬ顔で帰ってくる。その間はスーパーの屋上のゲームコーナーみたいなところで時間をつぶしていた。完璧な作戦だった。だが、何回か成功を重ねるうちに、慢心が出たのだろう。ある日、スコンとバレた。防具を隠す時に物音を立ててしまったらしく、あら、何かしら、と台所の窓から見やる母の目に、手ぶらで公園を渡って行く僕の後ろ姿がはっきりと認められたのだと言う。当然、怒られたわけだが、そんなに剣道がイヤなら年内いっぱいで辞めてもいいが、代わりのスポーツを何かやれ、というオトナな取引が親との間で交わされた。
 その頃の僕は、と言うかその頃の日本の男の子たちは、基本的には野球少年だった。僕の小学校にもリトルリーグみたいな野球チームがあり、友だちが何人か参加していた。僕も、たぶん野球をやるんだろうなあと思っていたのだが、ちょうどその半年前くらいにサッカー少年団ができていて、こちらにも友だちが参加し始めていた。そして、野球だよなあ、と思いつつ、なぜだか僕はサッカー少年団の門を叩いていた。小学4年生の冬だった。
 実際に始めてみるとサッカーも、剣道とは違う感じに痛いことも多いのだった。冬は寒いし。それに飛んでくるボールを手じゃない体のどこかに当てるのは、思った以上にこわかった。剣道を辞めたくなった僕は、やっぱりサッカーも辞めたくなった。そんな心構えだから上手くなるわけないし、ひとりのちょっとしたミスがチームに与える迷惑は、野球のトンネルの比ではなく大きくて、それがまた僕を萎縮させた。何度も辞めたいと思いながら、結局、辞めないまま小学校を卒業した。と言うか、その後も、始終ヘタクソなまま(ここ重要)、何度も辞めたいと思いながら、結局、大学4年の秋まで、僕は現役(協会登録選手)だったのだけれど、それはまあどうでもいい。

 僕がサッカーを始めた頃、サッカーなんて超マイナー競技だった。それどころか僕が高校の頃だって、トヨタカップという1試合を除いては、さほどメジャーな存在ではなかった(実は、その頃は、「お正月の高校サッカー」という、世界に類を見ない特殊なジャンルだけがメジャーだった。なにしろ帝京対清水東の決勝戦は国立を満員にしたのだから)。
 日本サッカー界において、僕が高校3年の秋に訪れた1つの試合が画期をなしたのだと思う。1986年のワールドカップ・メキシコ大会の出場を賭けた最終予選、後に「メキシコの青い空」と語り継がれることになる韓国との決戦だ。代表の試合で国立が満員になり、何万という日の丸の小旗が揺れた。この時に、サッカーは、その持てる潜在的なポテンシャルの一端をほのめかしたのだった。
 しかし、実際問題として、サッカーがメジャーな存在としてのポジションを揺るぎないものとしたのは、やっぱり1993年のJリーグ創設といわゆる「ドーハの悲劇」だろう。その後のほんの十有余年の短い間に、ワールドカップに3回も出場し、あまつさえ共催とは言え開催まで果たし、大会期間の今だけのこととは言え代表の一挙手一投足が国民の最大関心事のごとき様相を呈するようになるなんて、腰抜け剣士改めへなちょこサッカー小僧には、とてもとても予想できないことだった。

 オーストラリアによもやの完敗を喫し、ジーコにレッドカードを突きつけんばかりに憤ったあなた。宮本の端正な顔が疲労と焦燥と絶望と屈辱に歪むのを目の当たりにし思わず心を痛めたあなた。あなたがこんなにもサッカーを一生懸命に観るようになったのはいつですか。サッカーは心躍るスポーツですか。それならとても嬉しいのですが。

 ──毎日、ワールドカップの感想(しかもバリュー低い)を連ねるのもアレなので、こんなのをアレしてみたんだけど、かえってアレだったかも知れない。すまん。と言うか、オーストラリア戦のキックオフまでに家に帰り着こうと、駅のコンコースをそわそわと急ぎ足で行き交う人たちがあまりに多くて、それが何だかとてもおかしくて、ほのかに嬉しくて、こんな時代が来るなんて思いもしなかったよねぇ、と、隣を歩くランドセルを背負った僕自身に話しかけてみたくなっただけなんだけど、実際に書いてみたってのはアレだったかも知れない。すまん。ご静読感謝。
by mono_mono_14 | 2006-06-14 00:33 | 雑/quotidiana
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