周杰倫『葉惠美』
僕の努力の足りない他力本願さを前面に押し出した「ネット経由で僕のアンテナに引っかかったインフォにまんまと乗ってみよう企画」の第五弾。またもやCD。本当はこの企画にはふさわしくないかも知れない。なぜなら直接に勧めてもらったみたいなものだから(Muchas gracias!)。周杰倫『葉惠美』 。
漢字ばかりの歌詞カードは思いのほか意味が読み取れず、聴き取れることなどなおあろうはずもなく、完全に音楽としての声、楽器の響きとしての中国語(幅広くてすまん)だ。デパートの店内放送などで耳にする中国語(幅広くてすまん)とはずいぶん違う感じで聞こえる。音楽的親和性の高い言語なんじゃないかと思ったり。メロディに乗せた方が滑らかで艶やかだ。それとも単に歌い手の資質の問題だろうか。 M01「以父之名」:欧州の哀愁と日本海の演歌との狭間を行くような(どんなだ)愁いを帯びた旋律に乗せて穏やかなラップ。冬枯れの林を逃避行してるみたいな雰囲気。冒頭にイタリア語が話されている気がする(「気がする」としか書けないところも哀愁の調べ)。何となくマイケル・シェンカーとかを思い起こす場面がちらほらあり、それがメタル風味? との印象につながっている。 僕が最初に聴いた『七里香』というアルバムは2004年に出たらしく、この『葉惠美』は2003年とある。これが出てあれが出たのか、と思うと、何となく頷けるところがある。実際にどのような評価を得ているのかは知らないのだけれど、この2枚の間を流れた1年における音楽的成長というかディベロップは目をみはるものがある。「晴天」や「東風破」を「七里香」や「園遊會」にまで磨き上げ、「同一種調調」を「亂舞春秋」にまで尖らせている。ストリングスの使い方も巧くなってると思うし、アレンジも多彩になっている。『七里香』を踏まえて『葉惠美』を聴くと、僕には『葉惠美』が『七里香』の原石のように映る。じゃあ『七里香』の2004年を経た2005年、2006年はどうなってるのよ、どうなってくのよ。そういう興味がないと言えばウソになる。
by mono_mono_14
| 2006-04-11 23:15
| 音/musica
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