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新旧と美醜に関する覚え書き

Una ricerchina dice che i vecchi edifici sembrino brutti ai giovani giapponesi. Se si', dove dovranno andare le nostre citta'? Dovranno sempre essere ricostruite nuovamente? Allora non ci sara' niente da imparare dai paesi europei sulle filosofie e tecniche per mantenerle? Non ci credo mai.

 訪問が準日課と化しているこちらのサイトで、とても興味深い記述を見つけた。一般人的な感覚として、「醜い=古い/ボロいもの」という傾向が強く見られたというのだ(2005/7/23付937番の記事)。裏側には「美しい=新しい/キレイなもの」という傾向もあったのだろう。以下、これを発端とした妄想の覚え書き。

 もし新旧という判断のモノサシが与えられたら、目盛の優劣はにわかには決定できない。対象によってまったく違うからだ。しかし、美醜というモノサシが与えられたら、まずは美に優位との判断を与えるべきだと思う。だから、美=新、醜=旧というオートマティックなトランスレーションが無意識の前提にあるというのは、ちょっと困る。対象が都市や建築であるのならなおさらだ。美=旧、醜=新という判断も、とりあえずは同程度あってほしい。と言うか、美醜のモノサシは新旧とは無関係であってほしい。都市や建築は、闇雲に保存すればいいというものでは決してないし、常に新しい生命が吹き込まれなければならない存在だけれど、同時に新旧というモノサシで簡単に測れる対象でもないはずなのだ。

 この1週間、還暦が迫っているとは思えない若さ全開で陣内さんが熱く語っていたように(って実は録画しただけで半分も観ていないが)、イタリアをはじめとしてヨーロッパの諸都市では、過去を参照するどころか外観的には凍結保存に近い状態で保たせているところもたくさんある。そのことに対する不自由さも常に言われはするのだけれど、やはり少なからぬウェイトでそれぞれの街のアイデンティティの一部となっているように見受けられる。もちろん、日本にだって、少なからずそういう街はあるし(重要伝統的建造物群保存地区なんていうのが指定されていたりする。住んでいる人には誇りも不満もあると思う)。ともあれ、ヨーロッパの実践からヒントをもらうことはたくさんあるはずだ。

 幸いここのところリノベーション流行り。今、東京でリノベーション(建物の改修、転用、再生)を仕掛けているのはイデーなんていうオサレなところ(の独立部隊)だったりもするので、多少、オサレなブームなニュアンスもあるのだけれど、改修は少しずつ基本的な態度になってきていると思う。冒頭で参照したサイトに紹介されていた漆器展は、どうやらリノベーションした古いビルで行われているらしい。ビル見学も兼ねて覗きに行きたい。

 ・・・こんなメモ(脈絡なくてスミマセン)を書いてみたら、少し勉強しなくちゃという気になってきた。たなぼた? やぶへび?

 ちなみに、参照したサイトの主は、僕と同世代の建築史家・五十嵐太郎さん。『Casa BRUTUS』にも連載を持ってたりして、売れっ子。
by mono_mono_14 | 2005-07-25 23:51 | 街/citta
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