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「営業中」

"APERTO" sarebbe l'obiettivo piu' importante sul cammino di restaurazione. Ci credo.

 かつてを知る人たちに言わせると高校時代の僕は「話しかけるなオーラ」なるものを相当に漂わせていたそうで、そんなことないよーと棒読みで言ってはみるものの、身に覚えがまったくないわけでもなく、でもまあ、ともあれ、それから約30年の時を経て、ありとあらゆるオーラを発さなくなった僕に、かつての同級生が話しかけてくれることもぽつぽつと起こるようになったのだった。

 「はっと」って何?

 ある日、そう尋ねてくれた同級生がいた。僕がネットの片隅に放り込んだ、お世辞にも上手とは言えない「はっと」料理の写真にも、そんな問いを引き出すくらいのナニカはあった、のかも知れないね。

 2011年7月、僕は初めて被災地を回った。今をときめく(?)久慈の辺りから南相馬の原発20km圏(当時はそこから先には入れなかった)まで下っていったのだけれど、海沿いはどこもかしこも壊滅的だった。すでにものすごい数の専門家が現地に入り、最善を尽くしていたのだけれど、空間的な復興はとてつもなく長い道のりであることが一目瞭然だった。
 岩手県山田町の大沢地区も津波にほとんど一掃されてしまったエリアだった。その荒野然たる光景の中に、小さな四角い建物とその脇に赤いのぼりがはためいているのが見えた。「営業中」と書かれたのぼりだった。立ち寄ってみた。食品や生活雑貨を並べたお店は、もちろん津波に洗われたのだけれど建物は流失を免れ、僕らが訪れた数日前に営業を再開できたのだそうだ。言葉を失う光景の中ではためく真っ赤なのぼりは頼もしく輝き、お店のご夫婦の笑顔は穏やかで力強かった。「営業中」。そのことのかけがえのなさが僕を打った。もう、このことだけを追求できれば、復興する街の形なんて、いっそどうでもいいと言ってもいいんじゃないか。どちらかと言えば、街の形を考えるタイプのシゴトに就いているにもかかわらず、その時、僕は確かにそう思ったのだった。そして、今でも基本的にはそう思っている。街の形の大事さも信じて疑わないけれど。
 余談ながら、この時のことを、なぜだか北海道足寄町の広報(2011年12月号)に寄稿する機会があった。検索して辿ればバックナンバーのPDFがまだ読める。
「営業中」_b0018597_11211067.jpg
 「営業中」を目指して立ち上がろうという被災企業を応援する「セキュリテ」というファンドのことを知ったのはわりと早い時期だった。その頃、ファンドが募集されていたのは確か6社で、どの社もぐっと来るストーリーを携えてはいたのだけれど、僕に最も訴えかけたのは、気仙沼で唯一の製麺業者だという丸光食品(現・丸光製麺)だった。だって、麺類のない人生なんて、考えられる? 考えられないよ。もちろん、気仙沼にだって大手の麺類は入ってきていたはずで、丸光がなければ麺類がないわけではないだろう。でもね、そういう問題じゃないんですよ。こういう存在は代替が利かないものなんです。このことに、僕は確信がある。
 実際の僕にできたのは、ほんのわずかばかりのファンドを積むことくらいだったし(他にもこまごまとないではなかったけれど)、今は、また生産できるようになった「はっと」を美味しく(というか自皿自賛で)食べるくらいのことだった(他にももっとやれることはあるはずだけれど)。でも、2011年まで少しも知らなかった丸光の「はっと」を、僕がこれからもずっと食べ続けていくということが、被災地にひとつふたつと増えていってほしい「営業中」の中身なのだ(ほんのごくごく一部にしかすぎないのは重々承知だけれど)。

 唐突だけど「はっと」のこととかを書いてみた。来る8月10日が「はっと」の日なので。吉祥寺でイベントがあるので、こっそりと行く予定。

 (後記)別のところ(FB)に書いたものほぼそのままだけど、まあいいよね。自分で書いたものであることには変わりがないので。
by mono_mono_14 | 2013-07-29 11:36 | 雑/quotidiana
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