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公共事業が日本を救うとして。

 藤井聡『公共事業が日本を救う』。読み終えたのはしばらく前のことで、手に取ったのはさらにずいぶん前のことだ。

 乱暴に要約してみる。
(1)実は日本の公共施設(道路、港湾、ダムなど)はまだまだ足りない。遠からぬうちに訪れる首都直下地震などを考えると、耐震化・不燃化を急がなければいけない既存施設(道路、橋梁、学校、住宅等々)も山ほどある。
(2)そんな財源はないというけど、デフレの今は国債をじゃんじゃか発行して大丈夫。いざとなればお金を刷りまくれば必ず借金(国債)を返せる。ユーロを刷るわけにはいかなかったギリシャとは違う。大丈夫。心配ない。デフレがインフレに転じるまではこの作戦で問題ない。
(3)デフレ脱却には、誰かがおカネを使いまくらなければいけない。現在、おカネを使う目的があって、おカネを使う余力があるのは政府だけ。ちまちま配るのではなく、自分で使わねば。使い道としては公共事業が最適だ。
(4)せっかく公共事業に投資するのだから有意義に使わなければいけない。不要な穴を掘って埋めるというようなことではいけない。つくらなければいけない公共施設はまだまだあるのだから、それをつくるような公共投資を急がねばならない。
(5)以上より当然の帰結として、デフレがインフレに転じるまで、「日本を救うための真に必要な公共事業」を「日本経済を救うためのマクロ経済政策」としてどんどん進めるべき。公共事業が日本を救う。




 短く印象を記してみる。
(1)まあ同意できる。関係ないが、個人のレベルでも、タンスと壁を金具でビス留めしておくような「投資」はしておくべきだ。
(2)理屈としてはそうなのかも知れないが…という印象を持つばかり。経済・金融政策として妥当なのかどうか、判断がつかないが、禁じ手的奥の手であるような気はしてならない。何食わぬ顔であらゆる預金口座の残高に0を2つくらいくっつけてくれたらいいのに、という、僕の妄想と同レベルのように思えたりもする。いや、まつがいなく同レベルではないのだが。というか単に僕の残高に0が2つついたらなあというだけのしょうもない話を混ぜた。すまん。
(3)政府におカネがあるのならよいのだが。借金して返せなければ紙幣を刷るから大丈夫、という前提に不安が残る。ナントカ手当てやカントカ給付金のようなものは、トータルで巨額だったとしても、経済に波及するインパクトが弱いというのは、そう思う。やはり残高に0を2つくらい・・・。
(4)どうせ公共事業をやるならおっしゃるとおり。どうせやるならね。
(5)ここが大問題。(1)から(4)までは、即座にあるいは百歩譲ったりしながら同意したとして、「本当に必要な公共事業」をどうやって決めよう。

 もし、そこのかた。わたし? そう、あなた。ちょっと「本当に必要な公共事業」を挙げてみてくださいまし。え、えっと、じゃ、じゃあ、しゅ、首都高速道路の地下化! あなたが本当に必要だと思うならおやりなさいな、おカネはどんだけでも刷って差し上げますから。え? ああ、そういう話でしたのなら、えっと、純粋な公共事業とはいくらか言いにくいのですが、わが家をちょっとばかしリフォームしたいんです、ええ、ええ、もちろん来るべき首都直下地震に備えてのことですよ、はい。さらに東京の被害がとても大きかった場合に備えて、京都辺りに別邸もあると、地震への備えとしてはより万全ですよね、いや、むしろ国外がいいですかね、例えばシチリアとか、いやヴェネツィアかな・・・(フェイドアウト)

 公共事業が日本を救う。この言い方に、聞かされた方がいささかウンザリするとしたら、それはやはり、役に立った、ありがたかった、と、利用者として実感できる事業が少なすぎるのだろう。公共事業は、ただちに効能が見えるものばかりではないので、ありがたみが実感できないことをもって非難するのも、筋違いなところはある。縁の下の力持ち的なところがあるので、むしろありがたみがただちにピンとこないことの方が普通ですらあるかも知れない。とは言え、ありがたみが実感しにくいところに来て、つくるだけでなく維持するにもずいぶんなおカネがかかる。そのようなものについて、「必要」という世論はどう形成されるだろう。与党サイドに「2位じゃダメなんですか?」と斬られる時代だ。

 この本でも著者はいくつかの「必要な公共事業」を例示している。その必要性について、著者は確信があると言う。それでも、違うものの見方をする人からは、おそらく「無駄遣い!」との批判が浴びせられるだろう。必要な公共事業があるということと、この公共事業は必要だということが、なかなかうまく重なり合わないうちに今日を迎えている。その辺りについて、この本では「おわかりいただけただろうか」としか書かれていない。「この公共事業」が「必要」だという判断や合意形成は、どのようになされるのだろう。これは著者への問いかけというよりは自問だ。
by mono_mono_14 | 2012-02-14 18:09 | 本/libro
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