連載・東北紀行(第4回)
4.大槌町
大槌町(おおつちちょう)が、今回の地震津波の被害が最も大きかった街のひとつだということは、報道などで事前に十分に知っていたはずだった。しかし、ほとんど知っていなかったのだ。そう思う。 どこまでも広がる被災エリア。ガレキの移動が済んだところは、茫漠とした荒れ地の様相を呈し、解体を待つ建物が残っているところは、津波火災を伴ったこともあり、まるで戦後の焼け野原を想起させる風景だった。戦災の風景を見たことがあるわけではないのだが。 市街地に接する丘のかけ上がりが墓地になっていた。低い方にあるお墓は、津波と火災の被害を受けていた。少し高い位置のお墓になると、もう、なにごともなかったようだった。墓地の階段をのぼり始める。少し離れた位置に、津波と火災で崩れかけたお墓に来ていた家族の姿が見える。駆け足の被災地視察という行為の場違いさを感じつつ、階段を少しのぼっては市街地をふりかえる。また少しのぼってはふりかえる。高台のお墓からは、大槌湾まで見渡せた。穏やかな表情を見せる湾には、かわいらしい姿をした蓬莱島が小さく浮かんでいる。「ひょっこりひょうたん島」のモデルなのだそうだ(そういうことを僕は何も知らない。すべて3月11日以降に得た情報だ)。湾に接するように裾を伸ばしている緑の山並みも青々と美しい。穏やかで愛らしい湾とゆったりとした山裾に囲まれた平場が市街地で、そのすべてが壊滅的な被害を受けていた。 お墓の並ぶ斜面の足もとにお寺の本堂がある。津波に襲われ、火炎に包まれた。壁や柱の焼け跡は生々しく、お堂の中には焼けこげた自動車が転がっていた。江岸寺(こうがんじ)という寺院で、避難場所にもなっていたらしいことを、後日、知った。犠牲になった方への花や飲み物が供えられていた。かたわらにストリートアートふうの表現で「報恩」と画かれた大きな旗が掲げられていた。やり場のない怒りと悲しみがたちのぼるようであり、生きていることへの感謝があふれているようであり、復興へ向けて自らを鼓舞するかけ声が響くようでもあった。強い意志が宿った旗であることは間違いなく、畏怖の念のような思いがわき起こった。ふと目をやると、岩手県交通の路線バスが静かに通り過ぎていった。ゆっくりと視界から去っていくバスにも、敬意にも似た感動を覚えた。 すでに発災から4カ月近くを経過した現地に立ったからといって、大槌町の被災のすさまじさを目の当たりにした、というわけにはいかないだろう。もっと筆舌に尽くしがたくすさまじかったに決まっている。それでも、突き刺さってくるようなすさまじさ、凄惨さが、強く印象に残った。
by mono_mono_14
| 2011-10-01 00:15
| 街/citta
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