内藤廣『環境デザイン講義』

Un nuovo libro da Hiroshi Naito e' molto interessante e mi da' tanti suggerimenti sul mio lavoro.

 やばい。おもしろすぎる。しごとにならん。…というわけで、予定をはるかに前倒しして読み終えることになってしまった。内藤廣『環境デザイン講義』。以前、ここにも書いた『構造デザイン講義』の続編で(と言うか、意図としては三部作の2作目らしい)、東大で行った授業の記録だ。
 東大工学部の学生向けの講義だけれど、人間が身の回りの環境をどう感じているかという話なので、たぶん、誰が読んでも読み手なりのおもしろさを見つけられるんじゃないかと思う。修行したスペインをはじめ、さまざまな旅の経験なども語られるし、映画や絵画が描いた「環境」を補助線に取り上げたりもしている。

 ここで内藤が言う「環境」は、どちらかと言えば、「設備」を言い換えたものとしての「環境」だ。その「環境」を、「光・熱・水・風・音」の切り口から眺め、語る構成になっている。これは、環境を構成要素に切り分けた、という意図ではなく、人が環境(つまり、いまいる場所のこと)をどう感じるか、という感じ方から組み立てられた区分だ。これに、内藤流の私的で詩的な解釈が添えられている。著者に属する事柄なので、ここで勝手に紹介するのは控えるが、この解釈がとても魅力的だ。豊かだ(参考までに、それが披露されているのは154~158ページ)。自分ならどういう解釈を添えるだろう…と思いめぐらしてみて、これはなかなかの難題だということを実感した。考えがいのある宿題だ。

 この本で、内藤がいろいろに言い換えながら繰り返し述べているのは、環境はどこかで切り分けられるものではないのだから、部分に着目せざるを得ないときでも、常に全体的・総合的な目配りで考えるべきだということと、環境を考えるベースとなるのはひとりひとりの体験であり、体感であり、感受性なのだから、自分のセンサー(五感)を常に磨き、感じたことを客観的に把握する努力を怠ってはいけないということだ。
 若く優秀な学生たちに向けられた言葉だが、若くなく優秀でもないクワランタトレがわが身を省みるのに役立てようとしても、たぶん差し支えないだろう。特に、感じる努力だけでなく、それを客観的なデータに変換してストックしておくことが大事だ、というあたりは、最近、痛感していることもあり、沁みた。つまるところ、日々の努力が圧倒的に足りないのだ、僕は。デイリーライフをおろそかにしすぎているのだ。

 ところで、最近の(都市計画的な)紋切り型では、「環境」と言えば、水、緑、風、低炭素化といったあたりなのだが、内藤は、緑をほとんど取り上げていない(低炭素化は記述のあちこちに散見できる)。もっとも、今回の「環境」は「設備」を言い換えたものだと思えば、「緑」が入らないのは当然と言えば当然のことだ。三部作のトリを務める意匠関連の講義(形態デザイン講義)で言及してくれることになるのかも知れない。いくらか気の早い話だけれども、『形態デザイン講義』の刊行が待ち遠しい(王国社さま:必ずや出版してください)。
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by mono_mono_14 | 2011-02-08 15:12 | 本/libro | Comments(0)
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